三部構成の『無名の殉教者』のそれぞれのエピソードを忘れないうちに記しておく。
慶長18年(1613年)ころから、明治8年(1875年)ころまでの、およそ260年間に及ぶ物語。
史実では、徳川秀忠による弾圧で取り壊された浅草教会が破壊されたのは、慶長18年(1613年)のことであり、加賀・京都から流罪者の切支丹71人を受け入れたのは、翌年のことだった。
そして、日本キリスト教団弘前教会の設立までを描く。
史実は1割もあるだろうか。10歳の頃にみた殉教者の夢。中学生の頃には、津軽の切支丹に興味を持ち、以来、関連書籍を読みあさった。
長い思索と瞑想の内に見たヴィジョンをまとめた。
シーズン1:脱出と殉教
徳川秀忠による弾圧で取り壊された浅草教会と付属する病院の関係者が、津軽を目指して逃避行を始める。
途上で助けた老人・・・
狂信的信徒が招く危機的状況・・・
弾圧を避けるために、指導的立場にある人々の殉教。
1.旅の始まり
2.病院
3.合流
4.逃避行(大地震)
5.先達の死
6.慰労
7.狂信者(カルト)
8.議定書(プロトコル)
9.衝突と和解(大洪水)
10.殉教
11.善き偽兄弟の死
12.新たな祭り(和解の印)
シーズン2:処刑
宗教的指導者が一人もいなくなった状況下で、信徒たちはそれぞれの良心によって、信仰が保たれていた。
一人の善良な切支丹が、同じ環境で苦しむ異教徒の友を救うため藩に抗議するが、切支丹ゆえに処刑された。
1.追放
2.開拓
3.七日講
4.大雪
5.鉱山
6.救済
7.残酷な成功
8.老人と子供
9.偽りの人別帳
10.密かな楽しみ
11.飢饉
12.化粧地蔵
シーズン3:復活
全く、切支丹の痕跡も無くなった時代、一人の若者が立ち上がった。彼は、周辺の人々を救済するため食料の備蓄を藩に願い出るが認められなかった。
それでも強行する彼は、罪人として処刑された。
だがその遺志は引き継がれ、共助に救いを見いだす。
やがて、明治維新を迎え、支配的立場にあった人々の子孫に牧師が誕生した。
1.廃村の復興
2.俵物
3.水路と絆
4.共助
5.倉廩
6.一揆
7.遅すぎた恩赦
8.叶えられた望み
9.百人隊長
10.横浜
11.それぞれの道
12.教会