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| Iesus Christus, Salvator Infantium et Summa Misericordia |
私には著作物をまとめるだけの才能が無いので、長年の構想をブログの形で載せます。 古くはシャープのワープロ・書院で書いていた。それもDOSファイルに変換したものの、フロッピーディスクが散逸してしまった。 自宅サーバでホームページやブログで載せたが、予備サーバが壊れてしまい、いつまで現状を維持できるかわからない。 そこで、外部のブログサービスを利用して残すことにした。
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| Iesus Christus, Salvator Infantium et Summa Misericordia |
江戸時代初期、なぜ弘前城は石高不相応に巨大だったのか? 厳しい自然環境と弾圧の中で、どのように「精神」は受け継がれたのか。弘前市民の視点から、歴史の地下水脈を紐解く対話録。
―― 弘前城下町、わずか数年での完成。その裏にある「異例の動員」とは?
―― 名字に刻まれた「亡命者」たちの足跡
―― 「じょっぱり」の真髄は、キリストの「パッション(受難)」にあり?
―― 宗教は消えても、精神は「慈悲の所作」として残った
© 2026 弘前の歴史探訪対話録
※全員・毎節後に繰り返す
幸いなるかな、主よ、
汝の掟を、我らに教え給え。
諸聖の集いは
生命の泉を見いだし、
天の楽園の門に入れり。
我もまた、悔い改めによりて道を得ん。
迷いし羊なるわれを、
救い主キリストよ、呼び戻し、
我を救い給え。
▶ 会衆:リフレイン
主よ、汝はいにしえ
無より我を造り、
神の似姿をもって
我を尊く飾り給えり。
されど、掟に背きしゆえ、
我は再び土に帰らされたり。
願わくは、我を導き、
初めの美しき似姿へと
新たに造り直し給え。
▶ 会衆:リフレイン
我はあなたの栄光の似姿なれど、
罪の傷を身に負える者なり。
憐れみを垂れ給え、
御手の業なる我を、
全能の主よ。
汝の慈しみによりて我を清め、
心の故郷なる天の国を与え、
我を楽園の民となし給え。
▶ 会衆:リフレイン
神よ、汝の僕らの魂に
永遠の安息を与え、
天の国に住まいを定め給え。
そこにおいて、諸聖と正しき者ら、
星のごとく輝かん。
今、主にあって眠れる者らに、
すべての罪を赦し、
安らぎを与え給え。
▶ 会衆:リフレイン
父と子と聖霊に、栄光あれ。
唯一にして三位なる神を、
我ら、畏れをもって讃え歌わん。
聖なるかな、永遠の父。
聖なるかな、永遠の子。
聖なるかな、命を与うる聖霊。
信をもって汝を礼拝するわれらを照らし、
永遠の滅びより救い給え。
今も、いつも、世々に至るまで。アーメン。
よろこべ、恵みに満てるマリア。
あなたは肉において
救い主を世に産み給えり。
汝によりて、人類は救いを得たり。
願わくは、汝を通して
天の国に至らん。
神の母、清く祝せられたるマリア、
我らのために祈り給え。
アレルヤ、アレルヤ、アレルヤ。
栄光はあなたに帰す、我らの神よ。
今日は、ちょっと面白い発見があった。
私が現在住んでいる、石渡と言う町名は、弘前城を建てる際、石垣の材料となった石を岩木川から荷揚げした場所だろうと言うことは、想像が付く。
今では、1丁目~5丁目になっているけど、昔は”字(あざ)”があった。
1丁目が玉水で、2丁目が田浦だった。
そして、現在、やすらぎ温泉がある辺りが、大保(だいほ)である。
恐らくは、この名称は、最初の居住者の出身地ではないかと思った。
なぜなら、今から44年前、神奈川県横須賀市の親戚を訪れた際、横須賀線に田浦駅があったことが大きかった。
今回、地名を調べるに当たり「地名辞典オンライン」を使ってみた。
まず、玉水には、大阪府茨木市玉水町があった。
そして、田浦は、確かに神奈川県横須賀市田浦町もあったけど、長崎県西海市大島町田浦もあった。
ただ、大保だとそれらしい地名は、見つからなかった(^^;)
大阪府茨木市と言えば、キリシタン大名の高山右近の旧領であり、長崎県西海市と言えば、西彼杵郡でキリシタン弾圧の中心地だった場所。
大阪や京都、加賀から津軽に流罪になったキリシタンがいた話を聞く。
そして、江戸時代の初め頃、津軽に飢饉があった時、長崎から義捐米をもって来て、長崎に帰らずに津軽に留まった人もいたらしい。
現在の石渡の町域は、江戸時代の初め頃には、石を荷揚げする人夫の集落があったらしい。
当時の岩木川は、幾筋もの流れがあり、ひとたび洪水が起これば、流れが変わったしまうほどに、不安定だった。
そのため、こんな川岸の低地には人が住まなかった。
地元の人間なら危険なことを充分知っていたからこそ、流入者であるよそ者を居住させて、使役したみたいです。
やがて、弘前城の築城も終わり、弘前の町割りが終わったことで、この人夫を使って、岩木川の改修工事を実施し、現在のように人が住める場所を作ったのではないかと思う。
この一連の作業に携わった人たちの出身地が、字(あざ)として残ったと思う方が、ロマンあるよね(^^;)/
伊勢の切支丹、五左衛門は弾圧を避け、名古屋に出て、江戸に逃げた後、仙台に逃れ、更に津軽に至った。
津軽では、既に避難民としての切支丹を重用するコトは、過去の出来事になっていた。
五左衛門には、奥方と娘がいた。
弘前に到来した五左衛門一家は、十三湖付近の開拓に応募した。
見ず知らずの人々十数人で集落を作り、開拓事業に従事した。
やがて、大水が出て、にわか作りの集落は、簡単に押し流されて失われた。
失われた者には、五左衛門の奥方もいた。娘の命を守って、失命した。
さて、五左衛門は、気づいた。
開拓に従事する人が少なすぎる!
あと、もう少し人がいれば・・・
五左衛門は、集落の人を数人引き連れて、弘前の城下まで出向いて、藩に開拓人員の増強を願い出たが、謀反を警戒して拒絶された。
五左衛門たちは、城下で開拓に従事する人を求めた。
だが、謀反人として捕縛された。
持ち物を調べらると、切支丹関連のモノが続々と出てきた。
すると、同行した者たちが、切支丹とは無関係だと拒絶した。
藩は、五左衛門の処分にに困り、幕府の大目付・井上筑後守にお伺いをすることになった。
井上筑後守は、五左衛門を処刑して、娘のハルを類族として監視するように指示した。
五左衛門は、岩木川原で火刑に処され、長じた娘のハルは、古切支丹の中田氏に嫁いだ。
切支丹の五左衛門は、自らの生活よりも、周囲の人々の生活を守るために行動して、自らの死を招いてしまった。
だが、信念のある行動は、津軽の人々の心に「じょっぱり」として刻まれるコトになった。
日本語訳を載せてみました。
機械翻訳ではなく、誰かが翻訳したのかな?
タイプミスもあったみたいだ(^^;)
詳細は不明だけど、亡くなった方への祈りなのかな(^^??)
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主よ、祝福を
汝、聖なる主よ
汝の戒めを授け給え
聖人たちの聖歌隊は
命の源と
天国に至る門を見出せり
我もその道を見出せるか
悔い改むるを以て
我は失われし羊なり
我を召し上げよ
ああ救世主よ、我を護り給え
汝、聖なる主よ
汝の戒めを授け給え
我を造りし汝
無より
しかして汝の聖なる似姿とて
我を称賛せり
しかれでも汝の戒めに対する罪のために
我を召しし所より地に戻せり
願わくは我を再び古(いにしえ)の無原罪の者となし給え
汝の似姿となし給え
汝、聖なる主よ
汝の戒めを授け給え
我こそは汝の侵しがたき権威の象徴なり
我は堕落の傷を負いだるが
汝の業(わざ)たる情けをかけ給え
ああ至高の主よ
汝の慈悲を以て我を清め給え
我が魂の故郷を
授け給え
我を天国の住人となすを以て
汝、聖なる主よ
汝の戒めを授け給え
ああ神よ、安らぎを恵み給え
汝の僕(しもべ)の魂たちへ
そして彼らの居場所を天国に設け給え
ああ主よ、聖人たちの聖歌隊と
公正なるものが星の如く輝く所に
今は眠りたる汝の僕(しもべ)たちに
彼らの罪を許して安らぎを恵み給え
父と
子と
聖霊に栄光あれ
唯一の神の三位格の輝きと
敬虔な参加によって称えられんことを
聖なる汝を称えて涙を流さん
ああ永遠の父よ
永遠の子よ
そして聖霊よ
汝の輝きによって我らを照らし給え
汝を信仰する我らを
永遠の業火より救い給え
今、そしていつの代においても
アーメン
実体を持つ慈悲深き聖母に幸あれ
救世せんとて神を生みし聖母に
全人類に及ぶ
救いを見出した聖母に
汝によって我ら天国を見出さんことを
純潔にして祝福されし我らが聖母
ハレルヤ
ハレルヤ
ハレルヤ
我らが神に栄光あれ
ハレルヤ
ハレルヤ
ハレルヤ
我らが神に栄光あれ
ハレルヤ
ハレルヤ
ハレルヤ
我らが神に栄光あれ
