2026年5月15日金曜日

北狄の押え



登場人物

  • 井上筑後守政重(いのうえ まさしげ):幕府大目付。鋭い眼光を持つが、物腰は静か。
  • 南部信濃守重直(なんぶ しげなお):盛岡藩主。津軽家とは先祖代々の確執がある。
  • 津軽越中守信枚(つがる のぶひら):弘前藩主。一見、実直な田舎大名を装っているが、食えない男。



第一幕:密議

【江戸城・御用部屋】

薄暗い部屋。大目付・井上政重が座る前で、南部重直が膝を乗り出し、声を潜めて語っている。

南部重直
南部重直(生真面目)
……筑後守様、これは捨て置けぬ一大事にござる。
津軽の領内では、あろうことか豊臣にゆかりある浪人どもを密かに集め、さらには不吉な切支丹(キリシタン)までも引き入れて、何やらよからぬ企てを進めているとの噂にございます。
井上政重
井上政重(イッセイ風)
(眉をぴくりと動かし)
……ほう。豊臣の残党のみならず、切支丹までもか。
それは聞き捨てなりませぬな。
南部重直
南部重直(生真面目)
左様にございます。
あやつら、北の果てで幕府の目が届きにくい……

その時、廊下からバタバタと騒がしい足音と、茶坊主の慌てふためく声が近づいてくる。

茶坊主
茶坊主(人形風)
これ、これ、津軽様!
ここは御用部屋にございます!
通せませぬ、通せませぬ!
津軽信枚
津軽信枚(バカ殿風・賢者)
ええい、構わぬ!
迷うてしもうたんじゃ、誰か案内せい!

襖が乱暴に開き、津軽信枚が汗を拭き拭き入ってくる。




第二幕:迷い人の参上


津軽信枚
津軽信枚(バカ殿風・賢者)
(大声で)
おお、これは筑後守様!
お待たせ申した。
いやはや、当方は何ぶん北の田舎育ちゆえ。
このような御城はあまりに広うて、どこをどう歩いたものか、さっぱり分からなくなってしまいましてな。
恥を忍んで申せば、すっかり迷子(まよわし)になっておりましたわい。
がはは!
南部重直
南部重直(生真面目)
(苦々しい顔で元の席に下がり)
……津軽殿、ここは御公儀の詮議の場。
あまりに無作法であろう。
井上政重
井上政重(イッセイ風)
……構わぬ。津軽殿、そこへ直れ。佐竹殿も同席の予定であったが、あちらは国替えの仕度で立て込んでおるとのことで、本日はこれにて進める。

信枚は「恐縮にございます」と頭を下げながら、重直の隣にどっかと座る。その目は一瞬だけ、鋭く重直を射抜いた。




第三幕:吟味


井上政重
井上政重(イッセイ風)
では津軽殿、単刀直入に問う。其方、領内に豊臣ゆかりの武芸者を集め、さらに切支丹と手を結び、謀反の企てがあるとの聞こえがある。これはまことか?
津軽信枚
津軽信枚(バカ殿風・賢者)
(わざとらしく驚いて)
……なんと!
謀反!?
滅相もございませぬ。
誰がそのような、たわけたことを申したので?
井上政重
井上政重(イッセイ風)
言い逃れは無用。
確かな筋からの知らせである。
津軽信枚
津軽信枚(バカ殿風・賢者)
はて……さては、その『豊臣ゆかり』と申されるのは、例の浪人どものことではございませぬか?
確かに、西軍に与した者たちが数名、当家を頼って参りました。されど筑後守様、奴らはもともと、南部家へ仕官を願い出て、体良く断られた者たちにございますぞ。
南部重直
南部重直(生真面目)
(動揺して)
なっ、何を……!
津軽信枚
津軽信枚(バカ殿風・賢者)
主(あるじ)も、家中(かちゅう)の者も、食うていく術(すべ)がない。助けてくれ。』と、当家の門前で泣きついてきたのでございます。
武士の情けとして、飢え死にさせるわけにも参りませぬ。
なればこそ、侍の身分は捨てさせ、百姓として土地を与え、泥にまみれて働かせておるのです。
あんな腰の曲がった百姓たちが謀反など、笑い話にもなりませぬわい。
井上政重
井上政重(イッセイ風)
なるほど。
して、切支丹の件はいかが説明される?
津軽信枚
津軽信枚(バカ殿風・賢者)
これまた、おかしなことよ。
当方は、南蛮(なんばん)や伴天連(バテレン)などという言葉の通じぬ者らを引き受けるほど、物好きではございませぬ。
だいいち、我ら津軽の言葉は、江戸の方々でも聞き取るのが難儀なほど独特なものでござる。
切支丹とやらが何を喋ろうと、こちらの百姓にはさっぱり通じませぬし、向こうも我らの言葉が分からず、早々に退散するのが関の山でございますぞ。
井上政重
井上政重(イッセイ風)
(重直の方を向き)
南部殿。今の話、聞き捨てならぬな。
その浪人ども、まずは其方の元を訪ねたというのは、まことか?
南部重直
南部重直(生真面目)
(言葉に詰まり)
……確かに、仕官を求めて参った者はおり申したが。
身元、怪しげな者ゆえ、追い払ったまで……。
津軽信枚
津軽信枚(バカ殿風・賢者)
さよう、南部殿がお断りになったゆえ、行き場を失った者たちを、当家が拾い上げたまでのこと。
当家では先代より、荒れ地を拓くための『堰(せき)』――いわゆる水路を築いておりまする。
人手はいくらあっても足りませぬ。
謀反を企てる暇(いとま)など、今の津軽にはございませぬわ。



第四幕:幕引き


井上政重
井上政重(イッセイ風)
……なるほど。土地を富ませるための人手というわけか。
善き励みである。
南部殿、津軽殿の言い分、理に適っているように思えるが?
南部重直
南部重直(生真面目)
(唇を噛み締め)
…………。
当方の見誤りであったようです。
これにて、御免仕る。

重直は屈辱に顔を赤くし、足早に部屋を去っていく。
部屋には、政重と信枚の二人だけが残った。

井上政重
井上政重(イッセイ風)
(声を落として)
……のう、津軽殿。
其方は迷ったと申したが、重直殿より先に登城していたことは承知しておるぞ。
津軽信枚
津軽信枚(バカ殿風・賢者)
(薄笑いを浮かべ、深々と頭を下げる)
……恐れ入りました。
何ぶん、田舎者は用心深く出来ておりましてな。
誰が何を吹き込むか分からぬ世の中(よのなか)にございますれば。
井上政重
井上政重(イッセイ風)
よかろう。
其方は、北狄(ほくてき)の押えとして、幕府も頼りにしておるのだ。
ゆめゆめ、今の言葉に偽りがあるなよ。
津軽信枚
津軽信枚(バカ殿風・賢者)
ははぁ……肝に銘じまする。
(信枚は深く頭を下げたまま、その口元に冷徹な勝利の笑みを浮かべていた。)

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