シーズン1:脱出と殉教
徳川秀忠による弾圧で取り壊された浅草教会と付属する病院の関係者が、津軽を目指して逃避行を始める。
途上で助けた老人・・・
狂信的信徒が招く危機的状況・・・
弾圧を避けるために、指導的立場にある人々の殉教。
エピソード1:旅の始まり
現在の三浦半島、横須賀付近の田浦から逃げて来た三浦珠(みうらたま)に率いられた切支丹信徒たちが、浅草の教会に保護を求めてくる。
エピソード2:病院
浅草教会には、修道院と病院が併設されていた。
田浦から避難してきた人々が、病院で奉仕活動をしていると、そこに近くの旅籠で返り討ちを果たして手傷を負った丹下文吾(たんげぶんご)が運び込まれる。
徳川秀忠が差し向けた者たちが、浅草教会に放火した。
火の手が迫る中、切支丹の領主が治める約束の地・津軽を目指して逃避行を始める。
エピソード3:合流
たまたま病院に居合わせた丹下文吾も引き連れて、長い旅が始まった。
途中、山中で謎の老人・担架に寝かされた友蔵(ともぞう)を救出して、一行に加わる。
エピソード4:逃避行(大地震)
逃避行する切支丹一行が地侍に追われて海岸に出たところで、巨大地震に遭遇する。
地震直後の引き波で露わになった遠浅の海を渡って逃げた。やがて引いていた波が戻ってきて追っていた地侍たちは、海中に没した。
山中で道に迷う一行。人の姿に似たヤブ蚊の大群に導かれてて、山中を脱する。
エピソード5:先達の死
切支丹信徒には信仰が約束された地・津軽が目前になったところで、一行を率いていた三浦珠が亡くなる。
三浦珠の墓所には、十と∴を刻んだ墓石が置かれ、その場所は十三森と呼ばれるようになった。
後継者に浅草の病院の医師・善造(ぜんぞう)がなった。
三浦珠の死を知った友蔵は、担架から起き上がった。寝たきりで身体が不自由だと嘘をついていたのだが、三浦珠が亡くなってしまい自分を保護してくれる者がいなくなったので、本当の事を白状した。
エピソード6:歓待
切支丹一行を善造が率いて、藩主・津軽信牧に謁見する。
藩主からの慰労の言葉があり、農地と農具が与えられた。
農民になることを条件に、切支丹信仰が許された。
農業に不慣れな者たちは、築城や町割り、河川改修工事に従事した。
友蔵は、切石の荷上場で賄い方で働いた。やがて、娘か孫娘ほど歳の離れた嫁をもらって、7人の子を授かった。
社会的動向と無縁に大往生する友蔵だった。
エピソード7:狂信者(カルト)
信仰が許された切支丹信徒の中には、終末論を掲げて異教徒を断罪する者が現れた。
この者たちは、旧来の神社仏閣に放火し、仏像やご神体を破壊した。
地元民と避難してきた切支丹信徒の間で、武力衝突にまで起きた。
善造の活躍で、人的被害が出る前に衝突は収まった。
うち捨てられた戦国時代の砦に住み着く切支丹信徒の一団がいた。
空堀に囲まれた砦に水を引くための水路が作りかけのまま、取り残された。
ここに住み着いた切支丹は、かつての領主と家臣とその家族であった。
この一団が結束が固かったが、他の信徒団体との接触を拒み続けた。
やがて大雪が降った時にも、支援を拒み、次々と集落の家々が雪の重みに耐えかねて潰れていった。
そのため、村人が亡くなり、かつての領主が一人取り残されていた。
善造たちは、救出に向かったが、大雪に阻まれ、たどり着いた時は、かつての領主は既に切腹して果てていた。
エピソード8:議定書(プロトコル)
この騒動は、藩には切支丹信徒の反乱と捉えられた。
そこで、藩は切支丹の指導的立場にある者たちと議定書を結んだ。
一、第一に農業に勤しむ
二、騒動は起こさない
三、血縁者を含んで津軽に住する者を新たな信徒にしない
四、切支丹信徒として津軽に来た者への改宗は強要しない
エピソード9:衝突と和解(大洪水)
精勤する切支丹信徒より一段低く扱われていた浪人たちと、切支丹信徒の間で衝突が続いていた。
農業用水も上流部を切支丹の村が占めていた。これに反感を抱いた浪人たちが、堰を破壊するに至った。
やがて台風が襲来して、岩木川が氾濫の危機が迫っていた。もし、氾濫すればやっと開墾した農地が全て失われてしまう。
切支丹の集落、浪人の集落、それぞれ別々に土嚢を築いたが、あまりにも小規模で、あっと言う間に流された。迫る決壊の危機・・・
その時、善造は言った。それぞれ持てる力を集結して、この危機を突破しよう!
切支丹信徒の多くは竹が産するところに住んでいたので、竹細工に長けていた。そこで、地元の根曲がり竹かごを編んだ。
浪人たちは、鉄槌を振り下ろして砕石を使った。竹かごに砕石いれて、強固な蛇籠を作った。
杭を打ち込み、蛇籠を固定して、筵の袋で作った土嚢を積んで村を囲った。
長い雨は止んだ。上流の切支丹の村から、下流の浪人の村まで助かった。
岩木山に虹が架かった。銘々の宗旨で祈った。朝日に照らされて、美しい光景だった。
エピソード10:殉教
津軽信牧、江戸城内で大目付より切支丹を保護していないか、詮索された。
仙台城下でも、切支丹の検挙が相次いでいるにもかかわらず、津軽で検挙者が出ていないことを不審に思われていた。
そこで弘前藩は、切支丹弾圧の実績を幕府に示す必用に迫られた。
当初、藩では貴重な労働力である切支丹を弾圧するのは忍びないと言うことで、書類上の弾圧に止めようとしたが、幕府が見聞役人を派遣することになり、弾圧の実績を揚げなくてはならなくなった。
そこで、藩の担当役人は、善造に相談したのだが・・・
善造、自ら殉教すると言い出した。死して信徒の範となると・・・
処刑場では、最後の切支丹信徒として処刑されることを演出した。信徒らが罵声を浴びせたが、苦楽を共にした浪人たちが、助命に動いた。
善造は、喜びに満ちて昇天していった。その日は、
”雪のサンタマリア”の御祝日の前日にして、金曜日だった。
エピソード11:善き偽兄弟の死
指導者の善造がいなくなったことで、切支丹信徒は混乱していた。
次の指導者に人一倍敬虔な丹下文吾が指名された。程なく、捕縛されると、正体を明かした。
切支丹信徒でもなく、信州で人を殺して仇持ちだと言う。藩では、身元を照会すると、信州で殺された人の末の娘がいて、敵討ちに来ることを確認した。
やがて、この娘が弘前に来て仇討ち本懐を遂げて帰国した。丹下文吾には、地元で得た妻と子供がいたが、所払いとなった。
エピソード12:新たな祭り(和解の印)
弘前藩は、弾圧の手を休めなかった。
切支丹に反感を持つ浪人たちを使って、切支丹信徒がはるばる江戸から持参したマリア像を取り上げた。
更にこの浪人たちにマリア像を蓮台にかつがせて村々を練り歩かせた。逃散した切支丹信徒をおびき寄せるための”おとり”にマリア像を使ったのだった。
卑怯な手口に怒ったのは、切支丹信徒と和解した浪人たちだった。
この浪人たちは、マリア像を取り返すために乱闘となった。混乱の中、マリア像は粉々に壊れてしまった。
だが、切支丹信徒は悲しまず、蛇籠を作った要領で竹ひごで人形灯篭を造り壊れたマリア像の代わりとした。
そして、善造が亡くなった
”雪のサンタマリア”の御祝日に合わせて、切支丹信徒と和解した浪人たち共々、人形灯篭を乗せた蓮台を担いで村々を回った。
新たな祭りは、和解の印となった。