私には著作物をまとめるだけの才能が無いので、長年の構想をブログの形で載せます。 古くはシャープのワープロ・書院で書いていた。それもDOSファイルに変換したものの、フロッピーディスクが散逸してしまった。 自宅サーバでホームページやブログで載せたが、予備サーバが壊れてしまい、いつまで現状を維持できるかわからない。 そこで、外部のブログサービスを利用して残すことにした。
2017年10月11日水曜日
津軽キリシタン処刑地
私以前に入念に調査した大先輩がいました。
すでにその場所は、ほぼ確定したみたいです。
現在の明けの星幼稚園の裏手で、現在の栄町1丁目の南端に堰が合流したり分流している箇所があり、当時は4つの堰に分流していたよーです。
確かにこの場所だと、旧市内に住む人には、紺屋町のすぐ裏手に思われたのでしょう。それに当時は岩木川の流れも今とは違い、この付近まで流れ込んでいたのでしょう。それが後年、流れが変わり田んぼとなり、今では住宅地になった。
私自身は、栄町1丁目でも、もっと岩木川に近い場所かと思っていたけど、意外と奥まった場所なのだ。
以前勤めていた会社で、全社を挙げてチラシ配りをしたことがあった。その時、私の担当に栄町が割り当てられた。この処刑場跡と思われる場所も、現在は住宅地になっていた。ただ、通路が行き止まりになっていて妙な違和感を感じたのを鮮明に覚えている。
津軽には、篤信の切支丹が流されて来たが、外国人宣教師と接触があまり無く、やがて日本人の心にキリスト教がこなれていったのかな(^^?)
キリストはゴルゴだの丘で十字架にかけられたけど、津軽の切支丹は岩木山が見下ろす岩木川原で十字架にかかった。
その頃の情熱・パッションが形を変えて今のジョッパリ精神に繋がっていると、私には思えてならない。
・津軽キリシタン処刑地、四ツ堰
http://hiroseorth.blogspot.jp/2015/09/blog-post.html
・津軽キリシタン処刑場 四ツ堰2
http://hiroseorth.blogspot.jp/2015/09/blog-post_7.html
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