2017年2月20日月曜日

『無名の殉教者』の構成

 長い時の間に、表現の揺らぎがあったり、メモの欠落があったりと・・・
 ちゃんと記録に残さなければと、痛切に思う今日この頃であった(^^;)

 切支丹の世紀を語る上で、以前から私が抱いていた感じでは、弾圧される側と弾圧する側の視点しか有していないことの不自然さ・・・
 いたであろう多数の傍観者たちの描写が欠落している。まぁ、物語の性格上、2点に絞り込むことで対比を引き立てる効果があるのでしょうね。

 さて、ここ津軽、とりわけ弘前の地は、弾圧を逃れてきた切支丹が多数いた。京都や加賀から流罪になった切支丹71名以降、遠くは長崎からも逃げてきた切支丹がいた。
 既に関が原の合戦で戦いで敗れた人たちも逃げてきていた。弘前藩では、この人たちを使って弘前城を建て、岩木川を改修した。更には、農業用水路を津軽半島に延伸して、後の米の増収に貢献した。
 恐らくは、彼らは出身母体ごとに集落を形成していただろうが、小さい集団では、津軽の厳しい自然に太刀打ちできず、過去の恩讐を越えて結束していったのではないかと・・・
 やがて、ここ弘前でも切支丹の弾圧があった。そこは、弘前城からも近く、改修工事を行った岩木川のほとり、現在の聖母被昇天修道会の弘前修道院がある辺りが、切支丹の処刑場だった。
 3組の夫婦6人が磔になった。この処刑を涙して見送った人々がいた。切支丹では、無かった。苦楽を共にした仲間。切支丹側から言えば異教徒たちだった。

 私は切支丹ではないが、彼らに寄り添う人々の視線から物語を描きたい。
 それが、私が得た着想「無名の殉教者」なのだ。三部で構成されている。


第1部・脱出(天の巻)
 弾圧を逃れて津軽を目指す切支丹一行を、途中の山中で拾われ同行することになった老人の目を通して物語りは進む。

第2部・殉教編(地の巻)

 いがみ合いながらも共存していく、切支丹と前来の避難民。そして、異教徒の友を救うために、殉教する切支丹・・・
 信濃で殺人を犯した男が、逃避行する切支丹に紛れ込んで、弘前まで来ていた。切支丹として捕縛された男は、正体を明かした。そのため、信濃からこの男を討つために殺された人の娘が弘前まできて、本懐を遂げた。
 模範的信者を装い続けたこの男の目を通して、語ることになる。

第3部・復活編(人の巻)

 一人の切支丹、類族もいなくなったかつての切支丹集落。一人の若者が、農民を救うために立ち上がったが、仲間の裏切りによって処刑される。
 だが、若者の訴えは聞き入られ、後の世まで農民を救済することになる。
 そして、弾圧者だった藩の役人の子孫が、牧師となる。

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