今の神奈川県横須賀辺りの切支丹、領主の弾圧を受けて江戸・浅草の病院に身を寄せていた。
やがてその病院も幕府の命令により取り壊しになった。
切支丹たちは、一縷の望みを託して、古参の信徒である老婆を指導者に仰ぎ、北方辺境の地・津軽を目指した。
度重なる困難にも、奇跡的に乗り越える中、ある山中で若者に打ち捨てられたと言う老人と遭遇した。
老人は、同行させて欲しいと懇願した。同行者は皆、見捨てるべきと言う中、指導的立場にあるその老婆は、同行を許可する。
老婆は言う・・・
「我ら切支丹信徒は、行く先々で同心の者たちの助けを頼りにしている。
もし、疑われることがあれば、我ら一同、捕らえられることは、必定である。
その方も、われら同様にオラショを覚え、唱えることを誓うか?」
「はて、オラショとは、何ぞ?」
「オラショなるは、祈りのこと。」
「それは、たやすきこと。それを覚え、唱えれば、助けてくれるか?」
「相分かった。その方、ポロシモとして同行を許す。」
一向は津軽に入り、岩木山が見えるところまで達した。ただ、その老婆は、それまでの疲労で息を引き取った。
同行を許された老人は、足腰が不自由だと言っていたのに、その場に立ち上がった。嘘をついていたのだった。
弘前に着いた一行は、岩木川の改修工事に従事して、弘前城にほど近い場所に集落を形成した。
連れて来られた老人は、力仕事もできず、食事の仕度をする仕事をどーにかしていた。
それでも、自分の娘ほど年の離れた地元の女を嫁に向かえ、子供にも恵まれた。
しかし、その老人も最期を迎えた。幼い子供を残して死んでいくのに未練があった。
それまでの、自らの行いを悔いた。
そして、苦楽を共にした仲間たちに囲まれて死んでいった。安らかであった。
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