私には著作物をまとめるだけの才能が無いので、長年の構想をブログの形で載せます。 古くはシャープのワープロ・書院で書いていた。それもDOSファイルに変換したものの、フロッピーディスクが散逸してしまった。 自宅サーバでホームページやブログで載せたが、予備サーバが壊れてしまい、いつまで現状を維持できるかわからない。 そこで、外部のブログサービスを利用して残すことにした。
2017年4月5日水曜日
無名の殉教者 - 江戸幕府が禁止しても津軽に残った
直接物語には関係しないけど、周辺調査ってことで(^_^;)/
江戸時代、幕府がキリスト教並みに禁止したのが、トランプによるカードゲームだったのです。
意外かも知れませんが、当時のカードゲームは賭博だったので、儒教を精神的支柱としていた幕府にとって、労働の妨げになる賭博は、まかりならないのです。
時代劇では、よく半丁賭博がよく出てきて、取り締まり対象になっている場面を見たことがあると思う。
だが、江戸時代の初めごろは、カードゲームが賭博の代表格で、徹底的に取り締まったものらしいです。
そこで、カードから数字が無くなり、絵札ばかりの花札が生まれたのだそうです。
てな感じで、権力者によって弾圧され、取り締まり対象のカードゲームが、津軽には”ゴニンカン”として残った。
まぁ、北方辺境の地ってこともあって、徹底されていなかったと言えば、それまでだけど・・・
この”ゴニンカン”は、岩木川の中流域から下流域で盛んで、五所川原市では毎年「ゴニンカントランプ世界選手権大会」が開催されています。
我が家では、親父殿の代まで”ゴニンカン”をやっていました。親父殿は、会社や町内会でやって、たまに勝つと大好きな寿司を一人で食べていたとか・・・
爺様に至っては、”ゴニンカン”で、負けてばかりだったらしい。でも、隣の爺様は、勝ったお金を元手にコンクリート製の流し台を作って売り、儲けたお金で建設会社を作ってしまった。
てなことで、我が家にはあまり良くない”ゴニンカン”を、私は全くやる機会が無くて、ほとんど分からない(^^;)
閑話休題。
弘前藩による徹底した監視と弾圧で、切支丹信徒を根絶することに成功した。
だけど、農閑期にひっそりと行われていた御禁制のカードゲーム”ゴニンカン”は、残ることになってしまった。
恐らくは、諸国をさすらう浪人や切支丹が伝えたカードゲームが、”ゴニンカン”として残りながら、伝えた人のことは何も残っていない。
歴史の皮肉なのだろうか・・・
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