2017年4月7日金曜日

無名の殉教者 - 慶長大地震


 慶長年間って、大地震(慶長大地震)が頻発していたらしい。その中でも慶長三陸地震は甚大な被害を出している。この震災からの復興事業の一環として慶長遣欧使節が派遣されたとも言われている。
 だけどこの地震は、慶長十六年十月二十八日(1611年10月28日)なので、浅草教会の取り壊しが慶長十八年(1613)となり後になってしまう。
 すると慶長十九年十月二十五日の地震が、かなり絶妙な感じ。西暦で言えば、1614年11月26日で、浅草教会の取り壊しのあとに起きている。更に、震源が日本海側(現在の新潟県)にもかかわらず、太平洋側の銚子でも津波が観測されている。恐らくは、複数の地震が連動して発生したのぢゃないかな(^^?)
 この線で、物語を構築しなければ(^_^;)/

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