慶長年間って、大地震
(慶長大地震)が頻発していたらしい。その中でも
”慶長三陸地震”は甚大な被害を出している。この震災からの復興事業の一環として
”慶長遣欧使節”が派遣されたとも言われている。
だけどこの地震は、慶長十六年十月二十八日
(1611年10月28日)なので、浅草教会の取り壊しが慶長十八年
(1613)となり後になってしまう。
すると
”慶長十九年十月二十五日の地震”が、かなり絶妙な感じ。西暦で言えば、1614年11月26日で、浅草教会の取り壊しのあとに起きている。更に、震源が日本海側
(現在の新潟県)にもかかわらず、太平洋側の銚子でも津波が観測されている。恐らくは、複数の地震が連動して発生したのぢゃないかな(^^?)
この線で、物語を構築しなければ(^_^;)/
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