2017年3月15日水曜日

無名の殉教者 - 第2部殉教編(地の巻):御下命


 弘前藩は、外様大名ながら幕府から重用された。その証しとして、二代目藩主の津軽信牧の正室に徳川家康の養女・満天姫を迎えた。だが、既に石田三成の娘・辰姫が正室だったが、側室として弘前藩の飛び地・大舘(群馬県太田市大舘町)の陣屋に留め置くことになった。
 そして弘前には、東照宮が建立され、監視役として天台宗の僧侶が、満天姫の随員として同行していた。
 五万石にも満たない地方の小藩の弘前藩を、幕府はなぜ重用したのか?
 それは、未だ勢力を維持していた伊達政宗に抗するためであった。伊達家謀反の場合、北側から攻め入ることを幕府に期待されていたのだ。
 そのため、弘前藩がどれほどの忠誠心があるか試すために、保護していると噂の絶えない切支丹を弾圧せよと、幕府から命令されるのだった。
 これは、拒否できない命令だった。更に、幕府からは検分役人を差し向けると言う念の入り方だった。

 弘前城内にこの一件が届くと、弾圧派は勢いを増していた。しかし、安定した米の増収で健全財政を運営したい擁護派は、劣勢になっていった。
 そんな城内のことを知らずに城外では、信仰を次の世代に伝えたい切支丹たちが、基督の再来が近いことを高らかに宣言して、布教活動を始めた。
 これには、藩の政策に恭順していた切支丹たちが、活動をやめさせようとしたことから、騒動に発展してしまった。

 擁護派の佐々木は、切支丹信徒を束ねる帳方の善造に全てを打ち明けた。
 幕府の命令で切支丹を弾圧しなければならないこと。この弾圧は、幕府への忠誠心の証しとしなること。そして、検分役人も幕府から派遣されてくること。
 佐々木は、正直に全てを包み隠さず全てを、善造に話した。善造は、大きくうなずいて言った。

「あい分かりました。
 この度の不祥事は、帳方である私の不行き届きであります。
 責めは、私が一身にお受けします。
 そして、真の切支丹としての範を示す事となりましょう。」


 佐々木は、不意を突かれたように、一瞬何を言われたか分からなかった。だが、並々ならぬ覚悟の善造を見て、はっと我に返った。

「そ、それは、困る!
 切支丹を束ねる者がいなくなっては、揉め事が増えるばかりだ。」


 善造は、落ち着き諭すように言った。

「帳方は、切支丹暦があれば、用は足ります。
 切支丹を束ねるのは、若い者でも年数を積めばできましょう。
 それよりも、切支丹信徒が一人もいなくなっても、心がこの地に残り行われることを

 私は望みます。
 そのためにも、切支丹の心、御大切心を示す良い場となるでしょう。」


 佐々木は、善造の申し出を受け入れた。

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