手元の資料に岩波文庫の「長崎版どちりなきりしたん」があったはずだが、見当たらない。
確か「青森県における精神史」って言うハードカバーのかかった本もどこに行ったのやら(^^?)
貴重な資料だと思って厳重に仕舞い込んだら、今度は出てこない(^^;)
これをweb上から探すと、中々良い文章が出てこない。
ってことで、キリシタン時代の典礼を再現してみました(^^;)/
パードレ不在の典礼について。
起立
デウスとデウスヒイリヨとスピリツサントに依りて。
あめん。
我らが救い主イスス・キリシトの恵みと喜びが、我らに力を与え給え。
あめん。
『使徒信経』
万事叶ひ給ひ天地を造り給ふおん親デウスとそのおん一人子、我らがおん主デウスを誠に信じ奉る。
このおん子スピリツサント奇特をもって宿され給ひビルゼンマリアより生まれ給ふ。
ポンテオピラトが下にをいて呵責を受こらへクルスにかけられ死し給ひて御棺の納められ給ふ。
大地の底へ下り給ひ三日目によみがへり給ふ。
天に上り給ひ万事叶ひ給ふおん親デスウのおん右に備り給ふ。
それより生きたる人、死したる人を糺し給はん為に天降り給ふべし。
スピリツサントを誠に信じ奉る。
かとりにて在ますサンタヱケレジャ。
サントス皆通用し給ふこと。
科のおん赦し、肉身のよみがへるべき事、終わりなき命とを誠に信じ奉る。
あめん。
『ぱあてるのすてる』
天に御座(まし)ます我等が御(おん)親(をや)御名(みな)を貴(たふと)まれ給(たま)へ。
御代(みよ)来り給へ。天にをひて御(ご)おんたあでのままなるごとく、地にをひてもあらせ給(たま)へ。
我等が日々の御(おん)養(やしな)ひを今日(こんにち)与へたび給へ。
我等より負(お)ひたる人に赦(ゆる)し申(まうす)ごとく、我等負(お)ひ奉る事を赦(ゆる)し給(たま)へ。
我等をてんたさんに放(はな)し玉ふ事なかれ。
我等を兇悪(けうあく)よりのがし給(たま)へ。
あめん。
『あべまりあ』
がらさみちみち玉ふまりあに御礼(おんれい)をなし奉る。
御(おん)主は御(おん)身と共(とも)に御座(まし)ます。
女人(にょにん)の中(なか)にをひてべねぢいたにてわたらせ玉ふ。
又御(ご)胎内(たひなひ)の御実(おんみ)にて御座(まし)ますぜずゝはべねぢいとにて御座(まし)ます。
でうすの御母(おんはわ)さんた-まりあ、今も我等が最期(さいご)にも、我等悪人の為に頼み給(たま)へ。
あめん。
当時、司祭が常駐していることは希だったので、御言葉による典礼が主流だったと思います。
この頃、既に日本語訳の聖書もあったよーですが、印刷物は弾圧と共に焚書になったようです。しかし、祈りの言葉は失われず後世に伝わったのでしょうね。
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