- 十三森(十三塚)
13体の地蔵が祭られていたのでこの地名となった。と、言われている。
しかし、その地蔵が持つ錫杖の先には「十」が付き、袈裟には「∴」の印が刻まれていた。「十」は十字架を表し、「∴」は三位一体を表していた。この森は切支丹の信心講が行われた跡であった。 - 三経塚
古い時代に三巻の経典を埋めた事に由来する。と、言われている。
ところが埋めたであろう経典は一切出土せず、「∴」が刻まれた板碑が多数出土していた。 - 土師畑
焼き物用に土を採取した畑。と、言われている。
切支丹を密告して得た報奨金で求めた畑地だった。当初は「恥畑」であった。 - 磯畠
古くは耶蘇畑と言われ切支丹が投入された開墾地。山中であるにもかかわらず、「磯」とは奇妙な地名であった。
古い時代の食器の破片などが出土する。中には白磁で中国製と思われる聖母子像が出土していた。その幼子は片手に白い鳩を持っていることから、幼子イエスと聖母マリアであると判明した。 - 御大切様
樹齢千年になるタモの大木。木にできた沢山の節くれだったコブが赤ん坊を抱く女性の姿に見えることから、安産・子安を願う村人の信仰を集めていた。 - 同行地蔵
村人の喜び悲しみに寄り添うために現れた地蔵尊として村人の信仰を集めるお地蔵様。そして、白い十字の縫い付けのある袈裟を身につけていた。
この袈裟は毎年12月になると新しいものと取り替える。しかし、村人の誰一人としてなぜ12月に取り替えるかは知らない。 - 舛堰
四つ堰とも呼ばれ、かつて切支丹の処刑場があった場所。処刑場に似つかわしくないほどに風向明媚な場所。清らかな水が川に流れ、美しい姿の山が見下ろしていた。
この川は殉教者の血を飲み込み、あの山は殉教者を悼む人々の声を聞いたのだろうか。
私には著作物をまとめるだけの才能が無いので、長年の構想をブログの形で載せます。 古くはシャープのワープロ・書院で書いていた。それもDOSファイルに変換したものの、フロッピーディスクが散逸してしまった。 自宅サーバでホームページやブログで載せたが、予備サーバが壊れてしまい、いつまで現状を維持できるかわからない。 そこで、外部のブログサービスを利用して残すことにした。
2017年3月7日火曜日
無名の殉教者 - キーワード
使われないかも知れないけど、とりあえず重要なキーワードを記録しておく
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