2017年3月3日金曜日

無名の殉教者 - 寄り道:津軽の化粧地蔵






 まぁ、一連の物語とは、接点が無いのですが、参考ってことで(^^;)/

 想像の域を脱しないのだけど、岩木川の流域では、度重なる川の氾濫で住民が何度となく入れ替わることがあったのは、想像できる。
 最初は素朴なお地蔵様が、あったのでしょう。その後、疫病のまん延や災害などから、村人がいなくなり棄村状態になっていたところに、流入してきた切支丹が派遣されてきた。
 切支丹はお地蔵様に祈りの対象として、十字の縫い付けがある袈裟をまとわせた。やがて、度重なる飢饉で、その切支丹も死に絶えてしまい、再び棄村状態になった。
 藩の肝いり事業として新田開発に従事する農民が住み着いた。その時分には、北前船による物流が盛んになり、空船のバラスト用に京都の化粧地蔵を積んで津軽まで来るようになる。貧しい農民たちは、自らの手でお地蔵様に化粧を施すようになった。

 この化粧地蔵たちは、数百年に及ぶ祈りの結晶かも知れませんね。


・津軽化粧地蔵巡り/青森県稲垣村など
http://chindera.com/tsugarukesyoujizou-0.html

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